[ 悠 々 日 記 ]/ YUYUKOALAのブログ

コアラのように悠々と日々暮らしたいと考えている、とある人の日記です

富野監督が「若者の理工系離れの一番の要因はゲーム」だと語っている新聞広告

19日の朝日新聞に掲載されていた新聞の広告特集に
工学について富野由悠季監督にインタビューした内容が
掲載されていました。語っている内容はかなり真面目です。
 

 
この中で富野監督は、
「若い世代の理工系離れが進んでいる」
「この一番の要因は(略)コンピューターグームかなと思っています」
と持論を説いていました。
 

 ただ、工学の思考回路で地球有限論に立ち向かっていくことを、僕らのようなオールドタイプの人間に任せてもダメだという気がします。自分と同年齢の優秀な方々を見ていると、どうも専門分野に特化しすぎていて、さまざまな技術を横につなぐという回路を持っていないと感じているからです。今、高校生ぐらいのニュータイプに、君たちが30歳くらいになるまでにやってくれと頼みたいのですが、若い世代の理工系離れが進んでいるわけですから、事態は深刻です。
 この一番の要因は何なのか。僕は、やはりコンピューターゲームかなと思っています。ゲームというのは、決定的に自己埋没するシステムなんです。一方、工学というのは、どうしたら目指す成果に結びつけられるかということを追究していくもの。成果というのは、社会へ作用するものということです。社会でどういうふうに、ある技術を運用できるのか、その手法を構築していくのが工学なのです。ゲームという自己閉塞する行為に染まった子どもが、外の世界に目を向けるわけがありません。この世代の理工系離れを食い止めるために最も重要なことは、親や教師が子どもたちを外に向かわせる感性を育ててやることでしょう。工学というのは、実はアートでもあります。だから、原理原則を見つめていくデッサン的感覚は必要です。昆虫採集や、カエルの解剖、モーターの分解でもいいんですけど、実験の積み重ねによって、何かグチャグチャしていることが、ある方向へ集約されることもあるのだ、ということを示すような理科教育が、もっと行われていくべきだと思います。
(抜粋)

 
広告特集なんですが、富野監督が語っている内容が
真面目な話で、じっくり読んでしまいました。
 
とはいえ、ガンダム自体が何本もゲーム化されているだけに、
富野監督がそれを言っちゃっていいのかな?
という気がしないでもないです。
 
以下にこのインタビューの全文を載せておきます。

複雑化した現代社会が直面する深刻な問題を解決するために、工学が果たす役割に非常に大きいものといえます。このような時代において、人と地球の未来を担う優秀な人材を輩出することが、理工系大学の使命です。工学の可能性を信じるSF界のリーダーや現場で活躍する研究者のインタビュー、大学の取り組みなどについて紹介します。
 
工学的思考が新しい時代を拓く
アニメーション監督 富野由悠季
 
工学の面白さ、魅力とは何か、子どもたちの理工系離れを防ぐ方法は……? そんな問いかけに、放映開始から30周年を迎える『機動戦士ガンダム』の総監督・富野由悠季氏がおこたえくださいました。
 
地球有限論に立脚して思考すべき時代
 昨今、世界を取り巻く状況を見ていると、21世紀という時代が、前世紀とは根本的に違うものになってきたということを実感します。つまり20世紀というのは、常に右肩上がりに発展する文明論だったといえます。ところが、石油の埋蔵量といった資源の問題とか、温暖化といった環境問題のことを考えれば、地球というのは有限論なんです。有限の中で何十億という人類が1万年も、2万年も暮らしていけるわけがない。今までのような右肩上がりの無限論は、一切通用しないのが21世紀なんです。
 
21世紀型の問題解決はニュータイプ世代の役目
 では、人類がこの有限の地球で生き延びていくにはどうするか。それはもう、資源を大切に使いましょうなんていう観念論では済まされません。例えば、20世紀後半から問題となっている地球温暖化は、18世紀後半から始まった産業革命以降、人類が使った化石燃料から排出される温室効果ガスの濃度が著しく上昇したことによって起きているといわれています。今すぐみんなで冷暖房を使うのをやめたって、温暖化がすぐに止まるはずがない。だから観念論ではなく、システム論、つまり工学、エンジニアリングという視点からものを考えなくてはならないのです。ものを消費しなければ生きていけないわれわれが、その消費を完全にリサイクルできる「循環工学」があり得るかと問われたときに、あり得ないというのは簡単です。でも、そういう前提に立っていたら人類は自滅するだけです。1997年に京都議定書が議決されましたが、この10年間でどんな進展がありましたか? 工学をベースにして、旧態依然とした政治や経済という視点を叩き潰していかない限り、21世紀型の問題は突破できないと僕は思っています。
 ただ、工学の思考回路で地球有限論に立ち向かっていくことを、僕らのようなオールドタイプの人間に任せてもダメだという気がします。自分と同年齢の優秀な方々を見ていると、どうも専門分野に特化しすぎていて、さまざまな技術を横につなぐという回路を持っていないと感じているからです。今、高校生ぐらいのニュータイプに、君たちが30歳くらいになるまでにやってくれと頼みたいのですが、若い世代の理工系離れが進んでいるわけですから、事態は深刻です。
 
外に向かう感性を育てて理工系離れを食い止めろ
 この一番の要因は何なのか。僕は、やはりコンピューターゲームかなと思っています。ゲームというのは、決定的に自己埋没するシステムなんです。一方、工学というのは、どうしたら目指す成果に結びつけられるかということを追究していくもの。成果というのは、社会へ作用するものということです。社会でどういうふうに、ある技術を運用できるのか、その手法を構築していくのが工学なのです。ゲームという自己閉塞する行為に染まった子どもが、外の世界に目を向けるわけがありません。この世代の理工系離れを食い止めるために最も重要なことは、親や教師が子どもたちを外に向かわせる感性を育ててやることでしょう。工学というのは、実はアートでもあります。だから、原理原則を見つめていくデッサン的感覚は必要です。昆虫採集や、カエルの解剖、モーターの分解でもいいんですけど、実験の積み重ねによって、何かグチャグチャしていることが、ある方向へ集約されることもあるのだ、ということを示すような理科教育が、もっと行われていくべきだと思います。
 
絵空事ではない現実に立ち向かう工学は面白い
 もう間もなく高校を卒業するという学生さんで、工学部を目指すという方には、こう申し上げたい。君たちの多くは自己閉塞するようなシステムの中で、ここまで成長してしまいました。だからこそ、あえて今、外に向かっていく己というものをつくっていかなければいけない、と。エンジニアにとって一番大事なことは、自己表現をすると同時に、社会に技術を投下しなければならないということです。その技術とは環境を破壊するものではなく、リサイクルがきいて、10年後、100年後の地球や日本列島という「地力」を喚起するような技術です。そういう思考回路が必要とされているときに、6畳一間、4畳半一間の狭い世界に埋もれていて済むと思うな!ってことです。
 今から30年前に『ガンダム』をつくりましたが、そのときの想定は増えすぎた人ロに地球の質量が耐えられなくなったということでした。が、もはやこれはサイエンスフィクションという絵空事ではなくなってしまいました。20世紀までの科学技術や工学的な知で示されていない新しい工学論を、君たち若い世代が構築していくのだと考えれば、工学はまず間違いなく面白い学問であり、実学でもあります。それこそ全人生をかけて取り組むべきものだと信じています。
 
とみの・よしゆき/1941年生まれ。監督、演出家。60年代半ば、虫プロでTVアニメ「鉄腕アトム」の制作進行、演出を経てフリーとなる。70年代後半からは自らの原案・演出で、ロボット・アニメに新風を吹き込み、1979年の「機動戦士ガンダム」の大ヒット以後も、数々の話題作を提供し続けている。