[ 悠 々 日 記 ]/ YUYUKOALAのブログ

コアラのように悠々と日々暮らしたいと考えている、とある人の日記です

練馬区アニメ広報番組での細田守監督インタビューの内容

練馬区が制作してケーブル局で放送している
練馬区の広報番組「ねりたんアニメワークス」という
番組の中で「時をかける少女」「デジモンアドベンチャー」で
おなじみの細田守監督へのインタビューがありました。
放送されたのは、第10回の回でした。


インタビューの中で細田監督は、アニメ業界に入るきっかけや、
学生時代の話から東映アニメーションに入った当時の状況の話、
東映でのデジタル化の流れがどのようなものであったか、
そして、若手クリエイターへの助言といった話をされています。


細田守監督がインタビューに答えている様子は
意外と珍しいかもしれませんね。


そのインタビューの音源はこちらにあります。

Download
細田守監督インタビュー音声(mp3ファイル、4.36M Bytes)

途中、変な雑音を拾ってしまっていますが(汗)
まあ、聞き流してください。


そして、その内容を下に書き起こしてみました。

──どうしてアニメ業界に足を踏み入れようと思われたのですか
 子供の頃からアニメーションをよく見ていて、たぶんそれが一番大きな理由だったような気がします。
 大学の時は、油絵というか、絵の勉強をしていたんですけど、流れの中で色々なことがあって、ここ東映アニメーションに来る事になったんですけど。やはり根本的に昔から好きだったということがあると思います。
 
──観る側から作る側に立場が変わって、想像していたものよりだいぶ違いましたか?
 アニメーションに限らず、映像を作る人たちというのは、金銭的には絶対報われないよ、と。ねぇ、(スタッフの)皆さん、フフフ(笑)。作るものそのものに幸せがあるんです。
 
──アニメーションの世界に入られた頃は、まだセル画で制作されていた頃ですよね
 当時はね、ぼくが東映に入ったのは1991年4月だったと思うんですけど、海外に制作の一部を作って貰う、下請けに出すみたいな事がスタートしていた時で、国内の労働環境のようなものが海外に流出してしまって、なかなか思った物が上手く出来ないという事があって、結構、そういう点で東映アニメーションの中が、どうやって良い物を作ったらよいんだと、でもなかなか上手く作れないな、というような事が渦巻いていて、そういう点で何か淋しいムードが実はあったんです。ちょうど過渡期だったんですね。
 
──だんだんとデジタル化の波でCGも使われるようになってきて、最近ではナチュラルな映像が見られるようになりましたが、現在のCGについてどういう風にお考えですか?
 デジタル化の切り替えのときに非常に苦労した。でもその一方で、同時にデジタル化というものに希望を持ってたんですね。さらに面白い映像が出来るんじゃないか、という事にとってもワクワクしたんです。例えば、『バーチャファイター』というゲームがあったんですよ。1995年位かな、一番最初の「1」の頃です。ポリゴンでアクションする。で、これはスゴイなと。こんな事がデジタルで出来ると、もうアニメーターの仕事は無いぞ、と。絶対、未来のアニメってのはこういうデジタルな技術を使って、手でなんか描かないという風になっていくであろうと、みんな思ったんです。ところが、なかなかそうならないわけですよ。むしろ手描きのアニメーションの“手描き感”みたいなものをコンピューターで作るという、そういう方向性になってきたのは面白いなと思います。
 
──細田さんが監督された『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』は劇場版のフルCG作品という事ですが
まあ、フルCGというより、フルデジタル化作品と言った方がいいのかな。映画で言うと、日本で2番目のフルデジタル作品なんですよ。何の準備も無いんですよ。東映では初めて、フルデジタルで映画を作っているわけですよね。ところが、実験がその作品な訳ですよね。何のテストも無いまま、僕らはスタートしてんですよ。そういう意味では、デジタルでフィルムを作る、という事によるあらゆる問題が、『ぼくらのウォーゲーム!』を作っているときに出たんですよ。それを1個1個現場で対処して解決しながらやってきました。
 
──今後アニメ業界を目指す若手のクリエイターたちに一言
 まあ、僕も若手の一人なんで(笑)。特に映画を作っているアニメ監督としては、一番下っ端くらいなんですけど、自分もこの世界の中で、良い作品を作っていきたいと目指している人間の一人として非常に思うのは、アニメーションの可能性というか、映像を作っていくことの、非常にダイナミックな面白さというのは、やはり果てしなくてね。「あ、こういう手があったのか」という可能性に満ち満ちている世界だと思うんですよ。
 僕はかつて、東映にやって来たときにね、「もう、この世界には鉱脈なんか無いよ」と言っていた先輩たちがね、「もう何も花も咲いていないよ、アニメーションという場所は」と言っていた先輩たちがいたわけですけど、とんでもないんですよね。アニメーションの面白さというのはこんなもんじゃないっていうね、今でも十分面白いと思っているかもしれないけれども、まだまだ面白い作品を作れる可能性は沢山あって。
 そういうことってのをみんな一生懸命作りながら、少しずつ増やしている最中なので、自分を含めて、若い人にとって、本当にフロンティアで、そこですごく自分の理想の物を作れる、そういうすごく器の大きな世界だと思うんですよ。
 だから、そういう世界の中で、やっぱり広がっているので、みんな希望を持って、自分も含めて作っていくといいんじゃないか、っていうね。
 映像の世界は勿論厳しいですよね。色々ハードなことも多いですけど、やっぱり映像にはある種の魔力があって、映像を作る事そのものが幸せなんだよね。
 よく、なんか分からないけれど、いうのは「頑張って作品を作って、その先に何があるんでしょう?」とかいうわけ。でも、そうじゃねえだろう、って話なんですよね。作っている、その瞬間が幸せなんであって、それを幸せと思う人が、何かを作れるんじゃないか、何かを形に出来るんじゃないかという気はするんですよね。やっぱり、そこまで高めていくような人がね。そういう意味では、映像を作るということ自体が幸せな事なんで、その中でそうやって、やっていけば、新しいものができて。
 ね、こんな良い商売はないですよ。


若手クリエイターへの言葉を、かなり熱く語っていました。
ともかく、作品を作ることが好きなんですね。
そして生まれたのが「デジモン」であり「時かけ」であった、
というわけなんでしょうね。


「ハードなことも多い」という行(くだり)は
ハウルの動く城」降板劇などの辺りの出来事を
もしかしたら指しているのかもしれませんが…。


そんな内容のインタビューでした。