[ 悠 々 日 記 ]/ YUYUKOALAのブログ

コアラのように悠々と日々暮らしたいと考えている、とある人の日記です

「見えないルール」に抵触する人たち

ライブドアといい、あびる優(←少年法の適用があった時は名前を削除)といい、世間の反感を買う「反面教師」が相次いで登場している。
しかし、考えてみれば、ライブドア問題については、時間外取引自体については合法的で認められたルールの則ったものであるし、ほかの会社においても同じ手法が用いられている(という報道だ)のになぜライブドアに関しては大きく問題視されたのだろうか。
また、TVで過去の犯歴を笑い混じりに公表したタレントは多々いるであろうにこれまで刃傷沙汰でもないのに大きな問題になったことはあまりなかった。なぜ、あびる優の場合には大きく問題視されたのだろうか?
 
それは、この人たちが「見えないルール」に抵触してしまったからだと思う。
 
私たちは物事の是非を自分の中の常識で判断する。ここでいう「常識」とは、明文化された「法律」から親からのしつけまで幅広い概念だが、その中には「敢えて言われなくとも当然守られるべき規範・秩序」も含まれるだろう。それが「見えないルール」だ。
 
ライブドアの場合、時間外取引自体は問題ないが、これほどまで規模が大きい時間外取引はこれまで例がなかったのではないか。他の会社はこれまでの「規範・秩序」に則って取引をしてきたのにライブドアはそれをいとも容易く破ってしまった。他の会社経営者には、それに対する反発心が当然生じただろう。
あびる優は、これまでの番組においても割と現場の空気を読まずに自己中心的な言動が目立っていたと思う。その時点ですでに「規範・秩序」に抵触しつつあったにもかかわらず、過去の違法行為の告白が放送されたから、火種に油を注いだようなものだ。さらに過去の悪さを言うにしても、時効が過ぎた大人になってから言えばいいのに、18歳の若さで数年前の犯行を自白するのは自爆行為でそれ自体が業界のルール違反だろう。(本人は小学生の頃と言っているが当然数年前の出来事だろう。もしかしたら小学生の頃から継続していたのかもしれないが…)
 
そして、私たちは「見えないルール」という「規範・秩序」を破るものに対しては嫌悪感や不信感を抱き、より過剰に反応してしまう。ジュースをコップに入れることを思い浮かべてみよう。コップ一杯ギリギリまで入れたジュースにはまだ賞賛さえ起こることもあるが、ひとたび表面張力の限界を超えたジュースはテーブルを汚してしまう。「見えないルール」を破る人たちというのはまさに「コップから溢れ出たジュース」なんだと思う。決して溢れさせてはいけない。溢れさせたら激しく突き上げを食らうのだ。それが私たちの社会における「見えないルール」なのだ。私たちはコップから決して溢れさせないよう十分に気を配りながら、できる限り多くを注いでいかなければならない。彼らにはそのような配慮がなく度を越していた。それが反発を招いたのだと思う。
 
…長々と書いたが、要は「出る杭は打たれる」の一語で十分なのかも(汗)。