[ 悠 々 日 記 ]/ YUYUKOALAのブログ

コアラのように悠々と日々暮らしたいと考えている、とある人の日記です

週刊文春問題

 メディアは案の定、言論の自由の侵害、とばかり唱えているようだ。批評する側自身が当事者の一員なので、我々は一方的な主張しか目にすることができない。メディアに冷静になれといっても、聴く訳がないので、ここは余りメディアに躍らされず、それぞれの視点で考えてみようと思う。被取材者の視点・表現者の視点・そして命令を出す司法の視点だ。
 被取材者からは、自身に不利益な情報の差し止めを図ることは正当な行為の一環だろう。一個人としての立場で考えれば、自身のことが公になることを堂々と許せる人は、おそらくいないだろう。
 表現者からは、無論、表現の制約と見做すだろう。そもそも表現者にとって表現してはいけない境界線など自身で引きようがあるわけがない。それこそ表現者としての本分に拘わる。
 そこで、批判の矛先は司法へと向く。しかし、今回の決定は全て司法の責任によるものなのだろうか。私は一概にそうとは言えないと思う。
 司法の視点からは、被取材者による正当な差し止め請求に対し、正当な判断に基づいて命令が行われることは、法に則る正当な行為である筈だ。法的安定性を維持することが司法には求められているからだ。(無論、判断・手続きが正当であることを前提とする。)
 つまり、表現者側から司法の「運用」を批判するのは筋違いなのだ。批判されるべきは、現行制度を形作る法整備であり、すなわち批判されるべき対象は立法の怠慢なのではないか。
 以上の考えから、私は今回の決定自体は支持したいと思う。そして、仮処分についての法整備の再検討を立法に望みたい。
 
ちなみに、記事の中身自体はこれから読むところだ。記事の中身についての議論と仮処分による発行差し止めとは区別して考えるべきだと思うので。