朝日新聞の漫画評論コラムで「こどものじかん」が取り上げられる
8月14日の朝日新聞夕刊(東京版)に掲載された
「週刊コミック・ジャック」という漫画評論記事で、
コミックハイ連載中の私屋カヲル「こどものじかん」が
とりあげられていました。評者は精神科医の名越康文氏。
記事では、朝日新聞にしては意外にも、と言うべきか
「こどものじかん」に登場するレイジのことを
「さながら源氏物語の光源氏のようだ」と評するなど、
全般的に高く評価していました。
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欠落を埋めようと 名越康文(精神科医)
小学3年生の担任となった23歳の新米教師、青木大介はりん、黒、美々のおませ3人組に翻弄される。りんは、青木への行為を隠さず、「童貞」とからかったと思えば大胆に誘惑、青木の初キスを奪ってしまう。
いわゆる「萌え系」の描画はツボを見事に押さえ挑発的。しかしこの物語に引き込まれるのは、りんの保護者然として一緒に暮らす謎の男レイジの存在がクローズアップされてから。レイジは絵に描いたような暴君の父と隷従する母の両方を激しく憎み、二人が事故死すると親戚から厄介払いされ、従姉の秋の元に身を寄せる。秋の娘がりん。レイジは秋を慕い、秋ががんで死ぬとりんの親代わりに。「秋さんがしてやれなかった事、全部この子にしてやりたい」
さながら源氏物語、藤壺を慕う光源氏の比喩ではないか。りんは、亡き永遠の女性の面影を宿す紫の君。案の定、レイジはりんの成長を心待ちにし、結ばれる日を夢想するようになる。りんは、「先生がそばにいれば、私は黒くならずに済む」と訴え、受け止める青木は、心中に芽生えるりんへの愛情に戸惑う。
物語で性を描くと、とかく人間関係が固着してしまうが、ここでは逆に人物たちは性を軸にしてダイナミックに布置を変えてゆく。性とは、居場所の確保という人間の根本欲求をめぐる取引の手段ともとれるし、より根源的には“欠落”であるともいえよう。児童期から前思春期に移る時期の少女たちの体に宿る性の実感、すなわち欠落を埋めようとする渇望を、作者は怖いほど見事に描き出している。
(2008年8月13日 朝日新聞夕刊「週刊コミック・ジャック」より)
なんで、わざわざこんなに難しく評するのかという
思いがしないでもないですが、
一部問題作と評されることもある「こどものじかん」を
肯定的に評するコラムが朝日新聞に掲載されたことは
いいことだと前向きに捉えていいのか、どうなんでしょうか。