[ 悠 々 日 記 ]/ YUYUKOALAのブログ

コアラのように悠々と日々暮らしたいと考えている、とある人の日記です

日本経済新聞で岡田斗司夫がキャラ社会を語る

1/30の日本経済新聞夕刊最終面にある文化面に
アニメ・オタク評論家、という肩書きよりも
最近ではレコーディングダイエットで話題になった
岡田斗司夫氏が「キャラ社会」について語った
インタビュー特集が掲載されていました。


:W350
ちょいと読みづらいかも


記事を幾つか抜粋してみます

 キャラクターは現在の「見た目第一主義」の社会を最も端的に表す言葉です。(略)やせるまで気づかなかったのですが、以前の私は「デブキャラ」とみなされていたのです。自分では、社会評論の本も出していたし、世間からは「社会評論家」と見られていると思っていました。しかし、以前の私のキャラには「知的」というイメージは無かったのです。
 やせてからは、周囲の目が大きく変わりました。取材してもらっても、掲載される写真やスペースが大きくなった。知的な職業は知的な見た目が得をすると実感しました。見た目が悪いと、いい仕事をしても評価されない。私たちはいつの間にか、外見で中身や仕事の実績まで評価されているのです。
 (略)アニメは登場人物のキャラを立たせる必要がある。そこでは、シルエット、要するに体形ですが、それと色の2つの要素でキャラが決まります。細かいディテールを変えても、ほとんど影響ない。この単純化が現実世界でも起こっています。

 実際の人間は様々な性格を持ち合わせています。キャラがつくられる過程では、そのヒトが周囲と際立って違う一面だけをデフォルメして、単純化します。個人差があって、あいまいなはずのそれぞれの人間がキャラとして、確立されていくのです。

 キャラは自分で決めるのではなく、他人からの印象で決められるレッテルのようなものです。例えば、自分では「熱血キャラ」と思っていても、周囲からは「暑苦しい空気の読めない人」と思われているかもしれません。
 一度決まったキャラを変えることは難しい。周囲の人はそのキャラに合った行動を期待するし、そうでない行動をしたら、「あなたらしくない」と評価してもらえない。どんな人でも本質はキャラとずれているし、ストレスが発生するはずです。
 見た目第一の価値観はこの10−15年で急速に定着したと考えます。30代以上の人には受け入れるのに、抵抗があるようですが、20歳以下は当然のことだと思っています。家柄や学歴、経済力といった価値観の変遷を経て、見た目が優先されるようになったのは時代の流れです。「人間は中身で判断すべきだ」との批判は常に正しいのですが、現実には効力を持ちません。


正直、この話(説)にはピンと来るものがあまりありません。
岡田さんに関する件(くだり)の辺りが特に。
つまるところ、岡田さんが個人的に感じた
自分を見る周囲の目線に対する自己認識を
無理やり一般論化しているような、そんな印象です。


結局、他人の視線を怖がるというか痛がるというか、
メディアに露出するからこその自意識が強いんじゃないのかな、と。
私は以前の岡田さんの容姿から受けていた、
大らかで朗らかそうな印象に好感を持っていたのです。
ダイエットで細身になったことでそれらが感じられなくなり、
その点では、個人的にちょっと残念だったりします。


そもそも、そんなに他人の視線が気になります?
気にならない私の感覚のほうが周りとズレているのかな?